前回の『役者を辞める編』からの続きです。
3年間続けた役者を辞め、携帯ショップで店員をやり始めて、嫁さんの両親に結婚を許してもらうところまで書いた。結婚式の日取りを決めて、式場との打ち合わせも始め、着々と準備を進めていこうとした時になんと、結婚式を延期することになってしまう。
前回:僕の結婚式での大失敗、一生忘れない涙の結婚式①『役者を辞める編』
結婚式の延期
結婚式の会場決め
嫁さんと結婚式をどこでするのかを話し合った。当時僕たちが住んでいたのは東京で、お互いの実家は大阪と三重。結婚式に招待する人は自分たちにとって一番大切な人を招待したいという理由で、家族、親族を中心に幼いころからお世話になった友人を招待した。
よって、招待する人たちは大阪と三重に住んでいる。まず候補から東京を消した。そして大阪か三重のどちらかにしようということになったのだけど、ここで僕がどうしても大阪にしてほしいと嫁さんにお願いした。
僕の父方の祖母
僕の結婚式での最大の失敗に関わる人物、それは父方の祖母だ。小さいころから大好きな祖母。
80歳を超えた今でも元気で頭の回転も速く、いつも物事の本質を突いたことを言う。実家に帰るたび今でもお説教タイムがある。祖母のお説教を受けるたび、祖母がまだまだ元気であることを実感し、嬉しく思う。
ただ、そんな祖母も頭は元気でも足が弱ってきていた。
結婚式を挙げた時にもすでに足が弱っていたので、出来るだけ遠出をさせて体に負担をかけさせたくなかった。結婚式に招待する上でそのことばかり考えて、大阪で式を挙げるようにしてほしいと嫁さんに頼んだ。
嫁さんは快諾、大阪で両親の初顔合わせをした足でそのまま大阪の結婚式場に行き、日にちを予約した。
新居決め
僕たちは結婚するまで同棲しなかった。同棲は僕が拒んだ。
結婚前から同棲するカップルが多い中、僕が同棲を拒んだのには理由がある。まず第一に嫁さんの両親の立場から考えたら、挨拶に行く前から同棲していて良く思われないと思ったから。結婚してから一緒に住むのが筋だろうと。
そして、最悪別れた時のことを考えたらどちらかが次の家を決めるまでホームレスになってしまう。ホームレスにならなかったとしても、家を決めるまでの期間は同じ空間で過ごさなければならない苦痛が待っている。
物事には順序というものがあって、それはもの凄く大事なことだと思う。順序を守らなければ協力者を得られなくなる可能性がある。
まさに結婚式が延期になったのはそれが理由だ。
両親からの結婚式延期の提案
2人で住む家の候補としていた物件の家賃が9万2千円。
きちんと節約して生活をすればなんとかやっていけるだろうと考えていた。毎月の携帯ショップの給料が20万とちょっと。嫁さんも子供が出来るまでは働くとのことだったので、なんとかなると思って両親に話したところ、結婚を半年延期したらどうだ?と言われた。
結婚指輪で今まで貯めた貯金をほとんど使い、携帯ショップの給料で考えたらその家賃の物件に住もうとする金銭感覚はおかしい。もっと貯金を溜めて結婚後に安心して生活できるだけの余裕をもってからでもいいのではないか?と言われた。
今にして思えば、まったくもってその通りだと思うし、両親が心底僕のことを心配して言ってくれていたのが痛いほどわかる。
だけど当時の僕は両親の心配をまったく理解せず、目先のことしか考えていなかった。結婚式場の日取りをおさえていて、お互いの親族にまで知らせてしまっていた手前、延期するのはデメリットが多すぎるし、結婚式を楽しみにしていた嫁さんの両親になんと言えばいいかわからなかった。それに嫁さんが30歳になるまでには結婚したいと思っていた願いを叶えてあげたかった。
結局両親の提案通り、向こうの両親に事の経緯を説明して結婚式を半年延期するのだけど、今まで住んでいる家の更新日が近づいている理由で、一緒に住む事は延期しなかった。結婚する前に嫁さんと同じ家に住み始めてしまった。
このことに関しては相当に両親の怒りを買った。僕も結婚してから二人で住むと決めていたのに、そのポリシーを更新日が近いからという理由で簡単に投げ捨てた。まじで自分をクズだと思った。
結婚式に至る過程の中で僕の最大の失敗はここだと思う。今まで育ててくれた1番に大切な自分の両親の心配を理解しようとしなかった。祖父が亡くなって一番大切なのは家族なんだと思い知ったにも関わらず、だ。
なんかここまで書いてきて、結婚式での失敗の方が小さく思えてきた・・・。
結婚式での失敗を書こうと思って書き始めたのに、まさかそれよりも大きな失敗が浮き彫りになってしまいましたが、長くなりそうなので、結婚式での失敗は次回に書きます。
(次回へ続く)→ 僕の結婚式での大失敗、一生忘れない涙の結婚式③『結婚式準備編』